現代経済における財政の重要性とは?その原理と役割を理解しよう|名古屋経済大学 齋藤 敦先生にインタビュー

名古屋経済大学
齋藤 敦教授


筆者は、長年にわたり旧総理府・現内閣府に奉職し、様々な政策にかかわりましたが、その成果については内心忸怩たる思いが残りました。
そのため、退職後、埼玉大学の大学院で学びなおし、今日に至っています。


1.そもそも財政とは何か?

「財政」というと何か堅いイメージの言葉で、どこか私たちの生活から遠い他人事の話のように感じてしまう方も多いのではないかと思います。

「財政」は、一言で言えば「政府の経済」のことです。政府には中央政府も地方自治体も含まれます。

そもそも市場メカニズムを通じて生活に必要なもの(財・サービス)を私的に市場経済の中で充足することを基本とする私たちの社会の中で、なぜ、政府の公共の経済が必要となるのでしょうか。

具体的な身近な例として、地域のゴミ収集事業を考えてみましょう。市場メカニズムによって、各家庭が私的に契約して解決しようとすることはなかなか困難でかつ効率的でもないことがわかります。

昔は、家庭ゴミは自宅の庭で処理するようなことが可能でしたが、今、家庭ゴミで大きな比重を占めるプラスチック・ゴミなどは、地球環境のことも考えて回収して処理しなければなりません。

各家庭がばらばらに回収業者と契約するとしたらたいへん非効率なことになります。地域でまとまって対応することが効率的であり、かつ地域の衛生や環境保全という地域全体の厚生を高めることになります。

このように、地域の共同需要について、共同で充足する仕組みとして政府の経済活動が求められることになります。

経済学では、一般的に市場経済のメカニズムでは十分に解決できないケースを「市場の失敗」と呼び、その要因として公共財や外部経済(不経済)の存在、情報の不完全性、費用逓減などが挙げられます。

これらの経済理論をここでは解説しませんが、注意すべきは、これらの理論から、一義的に公共的な供給と私的な供給の境界線が決まるとは言えないことです。

例えば、家庭で上下水道や電気を利用しますが、上下水道は地方自治体により提供されていますが、電気は民間事業者によります。

地域交通について市営バスなどの公共交通と民営バス事業が共存・競争する場合がありますし、また公立病院と私立病院が併存しています。

水道事業の民営化が主張され、一部の自治体では実現しました。公共的な供給と私的な供給を分かつ境界線は、その国・地域の事情や歴史的な経緯、さらには人々の判断によって変わり得るものであるということです。

何をどこまで政府に委ねるのか、どこから私的な自己責任の世界に任せるのかは、その国・地域に住む人々の意思に直接かかわることになります。

以上述べたのは、一般に財政に求められる3つの機能のうち、資源配分機能といわれる公共サービスの供給に関するものです。残る2つは、経済安定化機能、所得再分配機能という主に中央政府に求められる機能になります。


2.財源はどこから確保される

財政の基本が「共同需要の共同充足」を実現するものだとすると、何を以て「共同需要」と捉えて、その供給を政府に委ねるのかを人々が意思決定する仕組みが必要となります。その原理が「財政民主主義」です。そして、財政民主主義を制度化したものが「予算制度」であり、「租税制度」となります。

政府が何にどれだけの支出をするのか、そのための財源をどのように調達するのかを示すのが「予算」であり、財源の基本である税を誰がどのように負担するのかを決めるのが「租税制度」です。

いずれもが、国会や地方議会の議決によって決定されるプロセスが確保されて、人々の意思によって政府の活動がコントロールされることになります。

今、財源の基本は税と言いましたが、税は、人々に強制的に課され(強制性)、かつ特定の個人の受益とは切り離されている(無償性)ということを特徴とします。

税は特定個人の受益のためにではなく、地域住民全体、あるいは国民全体の利益のために納付・徴収されるということです。憲法が国民の納税の義務を規定しているのは、そういう意味です。

ある公共サービスを実現するためには、そのサービス供給に要するコストは、住民(国民)全員の負担によって賄うのが基本であるということです。

もちろん、個別の税制の設計においては、負担の公平について様々な配慮が必要で、経済力の乏しい人には過重な負担とならないよう軽減措置が取られ、経済力の豊かな人にはそれ相応の負担が求められるのは、当然の前提です。

しかし、住民全体、国民全体としては、負担は、サービス供給のコストに見合ったものとなっていることが原則です。

なぜなら、公共サービスから得られる受益とそれに要するコストの負担のバランスを考慮して意思決定を行うことによって、人々はその公共サービスが本当に必要なのか、政府が実施すべきかどうかの判断を行うことができるからです。

これこそが財政民主主義の基本であるということです。

政府の借金(公債)については常に論点になりますが、公債の償還財源は税収によるのが基本であることを考えると、公債発行による財源調達はある意味で税収の前取りと言えるでしょう。

政府の公債は、政府の財政余剰(基礎的財政収支の黒字)によって償還されるべきものという基本を免れることはできないのです。これが財政規律の根底にあります。


3.現代経済における財政の重要性について

財政が「政府の経済」であるということは、財政が「共同需要の共同充足」を実現するための財政民主主義に則って運営される社会構成員の「共同の財布」として機能することを意味します。社会資本の整備や教育、医療、福祉などは人々の生活を支える重要で不可欠の公共サービスです。これらは、かつては大家族の中の支え合いや地域の顔の見えるコミュニティによって担われていたものもあります。

しかし、今日、これらすべてをパーソナルな助け合いに頼ることは困難になっています。一方で、市場経済のメカニズムによっても、十分に供給されない場合(市場の失敗)には、政府の出番が必要となるのです。大きな災害が起こった時に否応なしに政府の役割が注目されるのも、正に個人の力だけではどうにもできない重大事案への対応が求められるためです。

そこで社会の構成員の「共同の財布」がうまく機能するためには、すべての構成員が関心を持って、何にどれだけのお金を使って、その財源をどのように調達するかの判断をしていくことが求められています。

その際、避けて通れないのが税負担です。「共同需要の共同充足」のため、人々のニーズを充足することと併せて、それを実現するための負担を税という形で人々が分かち合っていることを忘れるわけにはいきません

税負担は、一方でそれによって実現される公共サービスの受益と一体的に考える必要があるのです。

このような財政に対する理解を人々が共有することが、健全な財政運営を支えていくことの根底に不可欠です。

しかし、今日、この基本は、軽視されがちで、その時々の政策論争の中では、テクニカルな争点にまぎれてしまいがちです。

私たちは、一人の有権者として、政策の良し悪しを論ずる際に、常に財政の原点にあるこの「共同需要の共同充足」という視点を忘れてはいけないと思います。

このような視点からみて、1つの例として「ふるさと納税」について考えてみましょう。「ふるさと納税」は、地方自治体に寄附を行うと、寄附額とほぼ同額の所得税・個人住民税の税額控除が受けられる特殊な寄附金控除です。

自治体の公共目的への寄附はそれ自体尊い行為ですが、そのことが居住自治体で享受している公共サービスの受益に応じた税負担を軽減する理由にはならないはずです。

居住自治体の税収減をもたらし、そもそも受益に応じた負担という納税の基本原則を蔑ろにするものではないでしょうか。

私たちは、このような視点をもって、様々な政策の良否を考えていく必要があると思います。